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クソ野郎と美しき世界の「世界の終わり」と新しい地図の「はじまり」
息をするようにクソ野郎と美しき世界の映画のネタバレ、個人の考察解釈が入りますどうぞ(⌒▽⌒)
1回目を観た覚書
https://filmarks.com/movies/76810/reviews/47520437
2回目を観た時の実写版ふしぎの国のアリス感をもうすこし掘り下げたなんともヘンテコな覚書
https://ameblo.jp/zzzchizu/entry-12367757500.html
クソ野郎と美しき世界3回目観賞感想
https://ameblo.jp/zzzchizu/entry-12368319723.html
クソ野郎と美しき世界の映画の見方の話
https://ameblo.jp/zzzchizu/entry-12369570268.html
最終日のレイトショーで4回目行ってきました(⌒▽⌒)
最後は1.2.3のそれまでのエピソードはもう純粋に楽しみつつ、ああ映画終わってまう…みたいな感じで余韻に浸りつつ、クソユニバースから考察スイッチ入れ始めた感じでイエエエエエエエエエ
前回見方の話をした上で、自分の中の「地球最後の日」の見方がわからないなと思っていたのですがラスト上映でようやく自分の中で「消化」できたかな。
———
「地球最後の日」曲からのシーンを「遊星がぶつかって地球が最後を迎える日」として観る「見方」なら、個人的解釈として各エピソード順は「1&3=2→5→4」なんだと思う。
大門やゴロー、オサムのいる世界(1&3)と慎吾ちゃんのいる世界(2)の別の世界なんだけど時間軸は同じでいいと思うので「=」で繋いであるけどどっちかが先の見方でもいいんだと思う。
作品パートと地図パートの、それぞれの世界のストーリーがあって、遊星が地球にぶつかったことで全世界が分け隔てなく「最後の日」を迎えて(5)、クソユニバース(4)へと繋がる。
で、その見方で見るなら最後歌に合わせていろんなキャラクターが登場するけど、あそこはフジコを見るんだなぁと思った。
フジコは誰かをずっと待ってる。ずっと待ってるところで地球最後の日を迎えて新しい詩のステージで「ずっと待ってた」に繋がるのかな、と。
ラストの歌喰いは意味深なんだけど、歌喰いは善も悪もない、人ではない「歌喰い」という生き物なのでそこから話を解いていくのはムリだなと思った。ステージでは衣装替えもない。人のルールには当てはまらない歌喰いというもの。
歌と映像がリンクしてるのかな、という見方もしてたけど、リンクしないから別物なんだろうな。
それから地球最後の日でいろんなキャラクターが映るシーンで(フジコちゃんもそのひとつなんだけど)ひとつだけ都会の日常を映したようなシーンがあるんだけど、あれめちゃくちゃ好き。地球の最後を迎えるのにふつーに人々は生活している風景が映し出される。
新しい詩からの地球最後の日だと絶望しかないけど、地球最後の日からの新しい詩なら終焉からの再構築またはネクストステージだね。「作品としての終わり」と「新しい地図」としてのはじまりを作って綺麗に終わった感ある。
地球最後の日の見方としてはここに落ち着いた。
大門が最後に鍵盤をそっと弾く。歌の中の「だ・け・ど」にあたる音。
ずっと映画の中で語ってきた言葉や映像などもすべてひっくりかえしてしまいそうなラスト。
嘘かもしれない。真実かもしれない。どちらでもないのかもしれない。
それらを混ぜ込んで作った「ベーグル」をどう「食べて」、「消化」するのかは観客に委ねられた作品だなと思った。
最後だから言うけど私は
・夜空ノムコウ
・Fly
・世界にひとつだけの花
だと思ってます(⌒▽⌒)
~~~
これで終わり!クソ野郎と美しき世界の映画ブログは終わりにしようと思っていたのに!!
宇多丸さんのムービーウォッチメンでの批評が面白かったので、その感想も書きたいぞ^▽^
クソ野郎と美しき世界のラスト鑑賞前の覚書
1回目を観た覚書
https://filmarks.com/movies/76810/reviews/47520437
2回目を観た時の実写版ふしぎの国のアリス感をもうすこし掘り下げたなんともヘンテコな覚書
https://ameblo.jp/zzzchizu/entry-12367757500.html
クソ野郎と美しき世界3回目観賞感想
https://ameblo.jp/zzzchizu/entry-12368319723.html
めちゃくちゃ楽しんでるな私!!!
考察楽しいヲタクなんです…それから自分なりの解釈をいれながら脳内でコマ割をするのが大好きなBBAなんです…(⌒▽⌒)いいえがお
上記があってかーらーのー覚書です。
――――――――
クソ野郎と美しき世界は新しい地図/SMAPファンの方向けの(吾郎ちゃんのいうドキュメントな)「見方」と、
映画としての(作品としてのフィクションな)「見方」があって、どちらも楽しめる構成になっている。
見方というのは「こう見なきゃいけない!」というものでなくて、(如何せんメタファーが多いのだ…)こういう見方もできるよね、みたいなもので。
他の方の感想や考察を読みまくって面白かったのは、ep3で最後夫婦が辿り着くのは沖縄。
私は「人の傷付いた、あるいは凍てついた心」を溶かすにはやっぱり南のあたたかい土地と全てを包み込む海だよね、くらいのぼんやりしたなんとも残念な見方だった。
(SMAP/映画作品のどちらの情報量もない乏しい人間なのだ。)
ただこの南の海(実際のロケは沖縄じゃなかったとか?)に映画好きの方はソナチネを重ねて、ファンの方は新しい地図のSを重ねる。
これは素敵だなと思った。
ひとつの「南」という場所に二つの意味があって、それぞれが思い思いに解釈できる余白がクソ野郎と美しき世界にはたくさんある。
——
一つは、その作品をより深く理解するための「解説」。その上で、作品をより深く楽しむための「見方」を提示していこうと思います。というのも、映画にまつわる言説において、現在の日本ではあまりにも「解説」に重きが置かれすぎていると思うのです。
~中略~
言うまでもなく、映画の「見方」は一つではありません。この連載で提示する「見方」を一つのヒントに、読者の方々が自分の目で映画を「見る」ことにより意識的に、鋭敏に、能動的になってもらえたら、映画の楽しみ方が広がるはず。
http://ji-sedai.jp/series/teenmovie/01.html
テレビっ子でなかった自分は「見方」を長いこと知らなかったのかもしれないとこのエントリーを初めて見た時に気付かされた。
「見方(解釈・考察もひとまとめにしてしまっていいだろう)」は今ではtwitterで検索するといろんな「見方」がツイートされているので、
もし気になるドラマや映画があったら検索してみると面白いかもしれない。
http://smasman.jugem.jp/?eid=33
で、クソ野郎と美しき世界の映画の見方でいうとこちらの方の記事がとっても面白かった。
わたしはまず、オチ自体に二軸あるなと思いました。
映画作品としてのオチと
新しい地図目線でのオチ(=ラストメッセージ)、
わ、わかる~~~!!!
オチもそうなのですが、話がもう二軸あるように感じて。
地図パートは「慎吾ちゃん」がリードして、映画の作品パートは「大門」がリードしてると観ていくとマーブルカラーに混ざり合った今作の仕組みが少し解ける気がする。
じゃあ地図パートと作品パートが作品内でリンクするかといえばやっぱりリンクしてないよなぁ・・・?という感想にたどり着くわけだけで、そしてだからこそ「地球最後の日」の扱いが自分の中で消化不良になっているんだけど…。
作品の細かいところを見始めたらまだまだ解釈しきれないところはあるしね。
たとえば手をつぶされたのは果たしてゴローか大門のどちらか。
4のクソユニバースのステージに行く前(地球が終わる前)に失ったものは戻ってこない。
慎吾ちゃんの歌はステージ前に戻ってるので歌える。切り落とされた小指はオサムの手にくっついている。
そう考えるとやっぱり「手を潰された」のは大門だと私は思ってるんだけど、(というか、そうでないとほんとにep1は何のためにあるんだ状態になりそうな)吾郎ちゃんが「痛そうな演技をした」らしいからね…🤔不明。
新しい地図としての「見方」として
ep1で手を「潰された」話
ep2で持ち歌を「歌えなくなった」話
ep3で旅をしながら「自分たちの答えを見つけ出す」話を描いてるとして。
そしたらクソユニバースで別世界だとしてもゴローの手だけが復活する(そして何故か大門の手が義手になっている)なんて破綻したルールが飛び出すだろうか?無くね?
だからやっぱり私は「ピアニストを撃つな!」と大門が自分の手を潰させたという見方になる。
(ep1の話は過去のブログに書きましたので省略)
とかね。
"新しい地図側では = はじまり
作品側では = 世界の終わり
を描いてるんだとしたら
ラストシーンは相反するものを
同時に描いていることになるので
あまりに巧妙で憎い演出だなぁと。"
ここの文章好きです。めちゃくちゃ好きです。(2回言った) 今日ラスト観に行くので、世界の終わりと再構築を観てきます。
クソ野郎と美しき世界3回目観賞感想
クソ野郎と美しき世界の映画感想・ネタバレ・考察・解釈などなどの記事になるのでお気をつけ下さい。
3回目を観た感想を書きたいなぁと思いながらつらつらと考えてたところに飛び込んできた観客動員数15万人達成のお知らせ!!!!!
おめでとうございます!!!!!
1回目を観た覚書
https://filmarks.com/movies/76810/reviews/47520437
2回目を観た時の実写版ふしぎの国のアリス感をもうすこし掘り下げたなんともヘンテコな覚書
https://ameblo.jp/zzzchizu/entry-12367757500.html
上記の二つがあってかーらーのー覚書です。
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ep1.ピアニストを撃つな!
このエピソードタイトルがいい。
クソ野郎と美しき世界っていうメインタイトルともぴったりなストーリー、キャラクターだと思う。
何かの映画のパロディとかオマージュとかの感想も見かけるけどそっちは観てないのであえて触れないでおく。
キャラクターが走ってるだけなのに映画になっててそれが面白いって凄くない?
人の一千億倍の嗅覚でフジコを追うマッドドッグとその一味がチャリで街を走るとこなんて私毎回笑う。ははは(笑)
どのキャラクターも愛すべきクソ野郎。
「ピアニストを撃つな」と言ったのは誰か。
ゴローはストーリーテラーのようで愛に飢える孤高のモブなので大門を主役(兼映画の真ん中あたりに存在する)で映画を観ていくと面白さが変わってくると思う。
愛を知らなかったキャラクター達が、愛を知って、「愛してる!」と街を駆け抜ける。
イカレたマッドドッグ(ヤバイ奴)からフジコの愛した指をつぶすわけにはいかないと「ピアニストを撃つな!」のタイトルにかかる構成の1話推せる。
映画観たときにピアニストを撃つなと言われててっきり銃だとばかり思っていたがハンマーだったのには驚いた。手が重要なのね。
大門は愛してるから手放した男。でも諦めたわけじゃない。いつかまた手に入れる。
最後に誰もいなくなった静かなクラブクソユニバースで「たまに鼻クソほじるくらいの指」でピアノの鍵盤にそっと触れる哀愁までひっくるめて大門はいいぞ。
ep2.慎吾ちゃんと歌喰いの巻
リアルなのにリアルじゃない、リアルじゃないのにリアル。
東京アンダーグラウンドで座り込む歌喰いは東京の社会に溶け込めないすずめのようで、カルテットが始まるのかと思った。違った。
会話劇を楽しめるのも今作の魅力なんだけど、(モブの台詞までもいい…)
慎吾ちゃんの目や口元の動きに情報量がたくさんある。歌喰いが無機質なだけに余計に人間臭さが引き立つのでは?
異質な存在さえ懐にいれてしまう、愛に寛大な男。
ただもうこの、
「…一人で?」
という台詞がじわじわと——それこそボクシングじゃないけれど——映画の終盤に効いてくる。
レゾンデートルを奪われて、異質なものを体内に取り込んで持ち歌を取り返しても、持ち歌は歌わない。
慎吾ちゃんが歌ってきた歌と子守唄とイースト菌と砂糖と食塩を混ぜて新しい歌が歌えるようになっても、新しい歌をゴローとオサムとは歌わない。
[「慎吾ちゃんの持ち歌」を「一人で」歌う事を躊躇う]のアンサーが[三人でなら歌える/または/ゴローとオサムと新しい歌を歌う]というアンサーにならないように練られている気もする。
持ち歌を歌うときは「 」で歌いたいから。
ep3.光へ航る
太田光という人をパブリックイメージ(eg:炎上男)しか知らず、おじゃマップの爆チューを見て「ああこの人真面目な人なんだな」と思った民。この映画を観た時は繊細な人なんだなぁっていう印象。
「クソ野郎と美しき世界」ってタイトルを見たときに「こういう映画だったら最高だな」って思ってたものに一番近かったなという作品。
3の時系列
息子事故→半年)死亡→移植→裕子右腕探し始める→金を工面するために美人局をしながら旅へ(仕事を辞めついていくオサム)→北→沖縄
数十分の映画の中で二人の時間経過が伝わってきて好き。
破れ鍋に綴じ蓋、でも互いに指輪は外さない関係性も説明なしで映画の中でそっと伝えてくる。
オサムは航がいなくなって不安定になった裕子が心配で小指切り落としてまで仕事やめてくっついてきて、裕子が女の子を救いたいって願ったから男に連絡をとる。
倫理観なんてないオサムの原動力はいつだって愛する女なのかもしれない。愛し方がわからない男。
前半の薄暗さとは対照的に最後は眩ゆいばかりの光に包まれる。
どこまでも執拗に、丁寧に指を撮るので手フェチとしては最高。
4.新しい詩
CLUB KUSO UNIVERSE
「第4章はそれまでの3本がまとまる話ではありますが、別の世界だと捉えている」そうなので次元が違うといっていいのだろう。クソユニバースという世界観。
これまでの3本の世界が混じっているようで、全然交わっていない。それぞれのストーリーの結末を紹介しながら、それぞれの世界線が交わることは最後までない。
慎吾ちゃんは一人で歌うし、ゴローとオサムは視線を合わすこともない。どのキャラクターも他の世界の人物と触れることはない。
違う物語の慎吾ちゃんとオサムがぶつかって、——星と星がぶつかって——世界が変わる、ゆっくりとエンディングに向かっていく。
クソ野郎の吹き溜まり、クソ野郎の星々が集まった壮大なクソユニバース。
地球最後の日の「見方」はいろいろあるみたいで、それはまた別のエントリーとして書けれたらいいな。思っている事が文章になるのかはわからないけれど。笑
兎にも角にも、クソ野郎と美しき世界。このクソ野郎達と逢えるのもあと一週間です!
「今」撮るから、「今」見るから心を撃つ映画を是非劇場で!
クソ野郎と美しき世界をふしぎの国のアリスに重ねちゃうヘンテコエントリー
二週間限定で絶賛公開中の「クソ野郎と美しき世界」。
ファンムービーだと言われればまぁそうなんだけど、どうしても重ねてしまうけど、それを抜いても面白いねということでこのヘンテコな記事を書くことにした。
1回目の感想メモはこちら。
https://filmarks.com/movies/76810/reviews/47520437
はじめて観た時に「現代版(実写版)ふしぎの国のアリス」みたいだなと思ったのでもうすこし掘り下げてみる。
ふしぎの国のアリスは意味のないことが意味、が通る世界。
極彩色の花たちが楽しそうにペチャクチャお喋りする中を走り抜ける。
異様な色のベーグルが「eat me!」と叫ぶ。
屑の父親を変えていくのは美しい蝶に姿を変えた芋虫だ。
ご丁寧に異様な身形の水先案内人(チシャ猫)までいる。親切だな。
皆が皆白い兎を求める、追いかける。
白い兎とは?アリスとは?
兎は「フジコ」でもいいし「奪われた歌」でもいいし「右腕」でもいい。「 」でも「 」でもいいし「 」かもしれない。
ここは誰を当てはめても面白いんだからうまくできてると思う。
一番わかりやすいのは「新しい地図」を追って映画館に訪れた(迷い込んだ)「ファン」がいろんなドタバタに巻き込まれつつ最後は夢の世界から現実の世界に戻っていく構図。
生きづらい現実から逃げてこの世界に飛び込めば、ゴローがあなたのためにピアノを弾くかもしれないし慎吾ちゃんが添い寝して子守唄を歌ってくれるかもしれないしオサムが借り物の小指で指切りをしてくれるかもしれない。
アリスを大門に見立てても面白いんだけど、「マッドドッグ」なんだから「イカれた犬」な男なんだけど、大門はどちらかというと美女と野獣の野獣。
野獣のような出で立ちからヒトの姿に戻る。
愛してるから彼女を解放した。
大門はフジコが好きだ、ゴローの才能に惚れ込むフジコが好きだ。そばに置いて執着するような形で表現した愛は、手放すことで本物になった。
解放したからヒトになったのかもしれないし、そこから大門とフジコのストーリーの続きが始まる世界もあるのかもしれない。
歌喰いのキャラクターなんかはそのままアニメーションに登場しててもいいくらい。設定がぶっ飛んでていい。
2の一番リアルを描いているようで一番リアルじゃないあの浮遊感はなんだ。
「地球最後の日」が仮想現実の場合も踏まえて2回目を観た。
「地球最後の日」でそれまでの物語がひっくり返るかのような1&3とは対照的に、2の「慎吾ちゃん」はやっぱり絵を描いている。描いている絵は歌喰いとうんこで、「慎吾ちゃん」と歌喰いは出会っている。
1&3とはまた違う次元の世界なのかもしれない。
1&3と2の世界が触れた時、世界は混じり合いゆっくりと現実へ戻っていく。
この映画の中に嘘が混じっているかもしれないし、全部嘘かもしれないし、全部真実なのかもしれない。
そんなヘンテコな、クソで美しい世界を愛してしまえばいい。
「新しい詩」のテンションのままハッピーハッピー大円団!で終わらせるという手もあっただろうにその後に流れる「地球最後の日」。
「ビートフルデイ」と「やりたい放題」のような、美しさ、楽しさ、輝きだけでない、弱さ、寂しさ、影のような、あの余韻が切なくて好きだ。
楽しいのにどこか寂しい「新しい詩」からの「地球最後の日」。
たしかに「終わり」が近づいてくるあのエンディング感。
エレクトリカルパレードでテンションがマックスになったあとにうちあがる花火の少しの寂しさのようなもの、少しずつ、でも確かにゆっくりと、夢から醒めて現実に戻っていくような。
そう思うともう不思議の国のアリスどころか夢と魔法の国だ。
そこにいる間は現実を忘れて夢の世界を楽しめるそんな世界。ただ、お色気も任侠もうんこさえもでてくるちょっと年齢層高めのクソで美しい世界。
クソユニバースのはじまりとと新しい詩のエンディングがもうエレクトリカルパレード・ドリームライツに聴こえるし夜のパレードにしか見えない…。 新しい詩のラストが何かに重なるとずっと思ってたけどあれだ…イッツアスモールワールドだ…。
慎吾ちゃんの後ろを練り歩く三人のお嬢さんがいるんですけどあれディーとダムですよね。スッキリ!
まあそんな感じで私の脳内はますますディズニーみを帯びてきました。
Q 「この世は生きるに値すると子供に伝えたい」という自身の言葉について。 宮崎 自分の好きな英国の児童文学作家でロバート・ウェストールという人がいるが、彼のいくつかの作品の中に、自分の考えなくてはいけないことが充満している。その中にこういうようなセリフがある。「この世はひどいものである。君はこの世に生きていくには気立てがよすぎる」。少しもほめ言葉ではない。それでは生きていけないぞと言っている言葉。本当に胸を打たれた。 (「この世は生きるに値する」という言葉は)僕が発信しているのではなく、僕はいろんなものを多くの読み物や昔見た映画などからいっぱい受け取っているのだと思う。(それらを作った人々は)繰り返し「この世は生きるに値する」と言い伝え、ほんとかなと思いつつ死んでいったのではないか。僕もそれを受け継いでいるのだと思っている。 宮崎駿監督「この世は生きるに値する」 引退会見の全文 https://style.nikkei.com/article/DGXNZO59386140W3A900C1000000?page=5
"クソ野郎と美しき世界"には
「この世は生きるに値する」とか「それでも世界は美しい」とか不条理な世界だけどそれでも美しいんだよみたいな世界をみせられたらもう卒倒する— 💤🗺 (@yzzmm) 2017年10月16日
タイトルが発表された時、不条理な世界だけどそれでも美しいんだよと背中を押してくれるような、そういう映画がみたいなと思った。
宮崎駿の心をベースにディズニーの煌びやかな映像をあわせてきたと思うとクソ野郎と美しき世界凄いなと感嘆せずにはいられないのだ。
夢から醒めて、映画館からでてきてスマホを見た時着信があったら。ディスプレイに映る名前、君の名は?
ついくすりと笑えてしまうような、そんなエンターテイメントの世界を楽しんでしまえばいい。
